「全国で分かち合う」が原点 沖縄の負担軽減と普天間返還 政界の波間に沈んだ“法整備”

引用元:沖縄タイムス
「全国で分かち合う」が原点 沖縄の負担軽減と普天間返還 政界の波間に沈んだ“法整備”

[本土よ 「辺野古」県民投票1年](2)

 防衛省のウェブサイトに「SACO設置などの経緯」と題した文章が載っている。「沖縄県民の方々の御負担を可能な限り軽減し、国民全体で分かち合うべきである」。今に続く基地問題の原点に、「県外移設」志向があった。

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 1995年、米兵3人による暴行事件で県民の怒りが爆発すると、危機感に駆られた日米両政府は日米特別行動委員会(SACO)を設置し、沖縄の基地を減らす検討に入った。

 橋本龍太郎首相も節目で「負担を分かち合う」という言葉を使った。元防衛省首脳は「橋本氏は戦中の記憶がある最後の世代。沖縄が惨禍から立ち直ってほしいという強い思いがあった」と振り返る。

 しかし、SACOの目玉として普天間飛行場の返還を発表した橋本氏は結局、無条件返還や県外移設ではなく、県内でのたらい回しにかじを切っていく。一方で、沖縄の抵抗に端を発して嘉手納基地など12施設の一部土地の使用期限切れが97年5月に迫った。

 与党の社民党は暫定使用を可能にする米軍用地特別措置法の改定に反対していた。窮地に陥った橋本氏は野党第1党だった新進党の党首、小沢一郎氏に助けを求めた。

 沖縄で屋良朝苗初代知事の県民葬があった同年4月2日。2人は参列して東京にとんぼ返りすると、首相官邸で向き合った。小沢氏は法案に賛成する条件として、基地の縮小や県外移設に拘束力を持たせる法整備を要求した。

 翌日の再会談で、両氏は「県民の負担を全国民が担う」「国が最終的に責任を負う仕組みを誠意を持って整備する」という表現で合意する。小沢氏の代理として文案を協議した元参院議員の平野貞夫氏は「法整備を『仕組み』と言い換えた」と証言する。

 橋本・小沢会談はこの年の秋以降、自民党が連立相手の社民党を切って新進党に乗り換える布石でもあった。新進党側は合意をてこに法整備の実現を描いた。

 だが、自民党内で「自社さ」連立維持派が巻き返す。小沢氏は2年後の99年に政権に復帰したものの、翌年また離脱した。政権の枠組みは移ろい、かつて幅広い合意を集めた「負担を全国で」という精神は風前のともしびになった。

 その火が再び燃え上がったのは2009年。民主党の鳩山由紀夫首相が政権を懸けて県外移設を模索し、そして失敗した。小沢氏は当時、民主党幹事長だったが、党内対立で政策決定から排除されていた。

 追求してきた県外移設、そのための法整備は、政界の波間に沈んだ。小沢氏は今も「いつまでも沖縄に過重な負担をさせてはいけない」と主張している。(編集委員・阿部岳)

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